俺は広島の一般家庭で育った。一度も教会にも行ったことはないし、興味もなかった。青年としてただ興味あるのは、女にモテること、有名になること、お金持ちになること。夢に満ち溢れた青年にも聞こえるかもしれないが、心では人生に満足をしていなく、孤独をよく感じていた。
友達はいるにもかかわらず孤独を感じている自分は、いつもなぜか空に向かって、「俺を気にかけてる人はいるのかな〜?やっぱいないよね?俺が今死んでも悲しむ人いるのかな?死んだほうが俺の存在に悲しんで気付いてくれる人はいるんじゃないかな…。いっそ死んだほうがいいのかな…」
本気で死ぬ気はなかったが、それほど俺は孤独に感じていた。
でも小さな頃からの俺の憧れの兄貴は夢に向かって東京に移住した。俺は憧れとしてその兄貴が自慢だった。でもその兄貴が一緒に夢を歩まないかって東京に呼んでくれて俺はひょいひょいっと東京に引っ越した。
バラ色のような想像をして東京に到着し、数日間は夢に浸り、兄貴と語り合い、すぐそこに夢があるかのように感じていたが、現実をしれば知るほど、時間が経てば経つほど、夢が遠のくかのように感じた。
いつの間にか有名になるための夢は諦めていた。兄貴は口では諦めていないように語っていたが、顔をみると現実に直面しているのはわかった。
お互いお先真っ暗な時、俺はまた空に向かって、「人生はこれだけなん?これが人生なん?これ以上ないの?東京はこんなにも多くの人がいるのに、一切誰も自分たちのことを気にかけてくれないん?」
声には出さなかったが、声に出したいほど心で叫んでいた。
もう実家に帰りたかった。
でもそんな時に東京で、仕事場以外の人と初めて友達ができた。それがライフハウス教会の1人だった。彼は教会に誘ってくれて、その週の日曜日に初めて教会に足を運んだ。
そして教会に着くと、信じられない光景を体験した。
それは出会う全ての人が、俺を歓迎してくれた。話しかけてくれるというよりは、それ以上に歓迎をしてくれた。
そしてみんなが賛美をしてる姿を見た時に、教会に行ったことのない俺からはただ目に見えない存在に向かって手を挙げ、感謝を心からしてるように見えた。彼らは親密に目に見えない神様を知っていて、そのことを喜んでいるようだった。
俺は内側で思った「俺にないもの(神様)を彼らは持ってる。しかも喜んでる。楽しそう。俺もまじで知りたい。」
その思いを誘ってくれた友達に話した時に、これからのイエスとの歩みのために祈ってくれた。そしてどのようにイエスキリストと関係を持てるのかを教えてくれた。
そこから何の本も読みたいと思ったことがない俺が、漢字まで書いちゃってる聖書を読みたくて仕方がなかった。クリスチャンに関して一切の知識も理解もない俺は、ただ神様を知りたくてたまらなかった。
そこから毎日空に向かって不満ではなく「あなた(神様)を知りたい。おしえて、語って。おしえてーーー」って心から叫んでいたのを覚えている。
全てちんぷんかんぷんな俺でも、イエスこそ探し求めていた答えだと心からわかった。神様を知るたびに自分の人生の目的、価値を知り、神様が大好きになった。
そして8年後の今の自分が心から叫んで言えること
「まじジーザスありがとう」
8年後の今の俺は、ジーザスのおかげで、この日本のためにビジョンと夢を持ち、最高な家族も与えられ、心から俺の人生最高って誰にでも言える。そしてこの1度限りの人生をジーザスのように、人のために捧げたい。
この気持ちは言い足りんけど、
最後に、この全てのキッカケと出会いをくれた【ライフハウス教会】ほんまありがとう!!
I LOVE LIFEHOUSE CHURCH !!!!
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